サンクスギビングの小旅行の時、Contemporary Museumで撮った奈良美智の作品。
展示というより、ショップに置いてある販売物の紹介。
「意地悪そうな目つきの底にある、人を小馬鹿にした態度があなたに似ている」
とか、
「ナーちゃんに似てるし」
とか失礼なことを言いつつ、この人の絵を気に入っていたうちの母。
「あなたが好き勝手するのは別に構わないわよ。例えばあなたが独りアメリカに残るんだったら誰も何も言わないわよ。そっちなら全然問題ないわよ。だけど、逆はダメ。子供の事ばかり言ってないで、Hさん(主人)のことも考えてあげなさいよ。」
帰国を決めた時に言い放たれた言葉に、その時は
「夫婦でちゃんと話し合って決めたんだから」
と言い切ったけれど、本当は「話し合った」のではなく、私が一方的に押し切ろうとした話に、彼が「仕方なし」と受けた結果ではなかったか。
今になって、馬鹿な方法をとってしまった、と悲しく思う。もうちょっと私がしっかりして、ナーとニーが、こちらにいても将来に不安を持たずに済む手助けができなかったのだろうか。
仲良ししたいのに。
奈良美智的私だけれど、そういう愁傷なことを考える。
たとえばお昼ご飯。
職住接近。彼は会社まで車で10分。だから朝、昼、晩と毎日一緒にご飯を食べて来た。
365日×8年半。
勿論お互いがいない時もたまにはあって、「昼ご飯いらん」とか「夕飯いらん」と言われたら、正直嬉しかったりした。「友達とランチ」なんて嬉々として出かけたし。「帰ってこない」と言っておきながら、「キャンセルになったから」と昼に帰って来たりすると、「なんで帰って来た〜」と毒でもって返す言葉もあった。今更ながらの悪妻。
今、年末はとにかく忙しい彼。今日は昼も夜も食事はいらないと出かけて行き、ならば集中して荷物や用事を片付けるぞと意気込むも、昼になって独りレンジでチンしたご飯を食べていると、ごめんね、と思うのだったりする。
さて、一昨日の晩はナーとニーの学校でホリデーコンサートが開かれた。
エレメンタリー(小学校)と違って、ジュニアはバンドとコーラスに参加している生徒達だけが参加する催し。
バンドでサクソフォンを始めたニーはまだ3ヶ月ちょっとでブーブーやってるだけ。演奏そのものより友達と過ごすことが楽しいといった感じ。
一方バンドもコーラスも熱心にやっているナーはこの日掛け持ちで忙しく、それでもたくさんの友達と楽しそうに過ごしていた。
演奏そのものは、ともかく。(笑)
偉そうな事を言うけれど、実はクヨクヨしているけれど、決めた事を後悔してはいけない。
「こんなことしなければ良かった」とか「間違った判断をしてしまって後悔している」
などと言ったらば、ナーを傷つけるに違いないから愚痴ってはいけない。(いや、実際は愚痴っているが)
けれど、ここでずっと「よそ者」気分で過ごして来た私でも、少ないけれども良い友人に恵まれ、そこかしこで寂しがってくれて、こちらも淋しさが募っているというのに、ナーとニーはどうやって彼女達の心の中で折り合いをつけているのだろうか。純粋に前向きに「チャレンジャー」な姿勢なのか。それだけでは済まないだろうに。
無邪気そうに振る舞って、これが最後とばかり友達を(ゴミの山の中に)招いて遊んでいるニーは、
「日本でも○とか△みたいな友達ができたらいいなあ。」
と、ニコニコしている。
クリスマス前なのに、毎日やっぱり宿題に追われて忙しそうにし、放課後も友達と遊ぶ間なく、それでも合間を縫って友達とテキスティングしているナー。特に彼女は「自分が決めた事」という思いがあるからか、「淋しい」とは決して言わず(ああ、たまに言うけれど)、前向きなことばかり言って笑っているが、別れを惜しむたくさんの友人や、どこぞにいるのではないかと思われる(私が勝手に想像している)ボーイフレンドとのお別れを、どうやって咀嚼消化しているのだろう。
しばしの分かれを前にかなりセンチメンタルになっている。
どうせ今だけ。(笑)
後になって読み返したら、赤面必死で消去すること必至ですね。コメント欄外しておきます。(笑)